2019年01月13日

科学者はなぜ神を信じるのか 三田一郎 著

高校生になって、突然理系嫌いになりました。微分積分がよくわからないし、物理は複雑に絡み合うと何をすればいいのか手が付けられない、化学に面白さを感じない。同時に起こった国語の成績の急伸がなければ、進路において路頭に迷ったでしょう。

その時の私に、この本を読ませたい!
それが本書「科学者はなぜ神を信じるのか」です。
究極の文系(?)哲学・神学は、数学・科学と密接な関係があるとされます。多くの人の説明にもありますし、事実すぐれた偉人の科学者は哲学・神学と通じています。なくとなく分かるようで、腑に落ちない、そんな気持ちをずっと持っていました。この本はキリスト教的な考え方の基本から、科学の解き明かしが「神の存在」と矛盾しないとする考え方について、丁寧に、しかし分かりやすい言葉で述べています。そして、カトリックだとかプロテスタントだとかいうような宗教的な意味合いよりも、宇宙、私たちの力を越えたなんらかの法則性に対する憧れのようなものを喚起させてくれます。

何よりも、こんな文系人間の私も物理学の造詣が深くなりました!ニュートンも、マクスウェルも、めちゃくちゃ楽しいですやん♪(5章以降は、読むのに大変な時間はかかりましたが)寺田寅彦もそうですが、すぐれた学者はすぐれたストーリーテラーでもあります。「物理学」という人の思考の織り成す歴史物語は、複雑を単純化したがゆえに理解しづらかったものを、丁寧に解きほぐしてくれます。
4〜5章までは、高校生でも習う方程式や理論について、分かりやすく説明されているのみならず、その発見の過程と発見後の発展まで興味深く述べていますから、物理の突破口を見つけたい人には本当におすすめできます。また、6、7章の宇宙物理学については、よく聞くけれども難しいしよくわからないと思っている人におすすめ。ミクロよりも小さな原子の世界と宇宙のつながりが見えてきます。ホーキング博士の虚時間宇宙などよくわからないところもありますが(そもそも私は虚数がよくわかっていない)、十分好奇心を刺激し、より知りたくなること間違いありません。

テーマである「神」についても、現実に起きている宗教的な対立を乗り越えて、私たちが共に生きる指針をくれるようなものとして、最後には理解されてきます。コミュニティの知恵としての「宗教」とは異なる「宇宙」的な運命やルールをつかさどる「神」(いわゆる、スピノザ的神)を理解する方法(あくまでも理解、著者は聖職者ではありますが、押し付けて来る感じは全くありません)を教えてくれます。そして、尊大な気持ちにならず、「人間」として素直で謙虚な気持ちにもさせてくれます。

最近大学受験用の良著「ちくま科学評論選」を見通しても思ったことですが、科学論が持ち上がると同時に、現代の思想・思考を理解するには哲学的な素養は現代人に必須です。哲学はアプリケーションのようなもので、それを取り入れるといろいろなものを理解したり実用化したりできるようになります。実際、私は大学受験予定者には必ず一定期間、哲学的な思考方法を学ぶ練習をしてもらっています。その後の伸びが飛躍的に向上するからです。
この本では、そうした哲学的な思考法もテーマとして存在しています。もちろん、哲学自体の専門書ではありませんが、哲学の使い方、使われ方もかじることができますよ。

というわけで、大学受験を目指す人には特に、お勧めします。
タグ:中学〜高校
posted by るみ先生 at 16:02| Comment(0) | 読書案内

2019年01月07日

日本語はどこからきたのか〜ことばと文明のつながりを考える〜 大野晋 著

3117e2369cf1abf45b9c68445f2e09e3.png新年の誓い、それはできるだけたくさんの本を読むこと。目標としては、週に3冊程度の紹介。(3冊読めない場合は、知っている本で書くつもり…)

本年はじめは、日本を考えるをテーマにしてみました。
「日本語はどこからきたのか」大野晋 著 (中公文庫)

今年の年始は、論語教室の正岡定子先生のお話に触発され、当塾の扉にもしめ縄を飾りました。クリスマスを過ぎると、日本全国「お正月」風物〜「お年玉」や「おせち」「門松」などの飾り物などになんの疑問も持たずに、どっぷりと漬かります。でも、それらはどのような経緯で今に受け継がれていて、私たちにどのような影響を与えているのか、あまり考えていません。
また、近年ナショナリズムが脚光を浴びていますが、そもそも日本とは何なのか、何が変わり、何が変わらないのか、それが分かれば、単なる民族対立のこじつけた理由にされることもないのではないかと思います。
そんな今だから、上記「日本語はどこからきたのか」をチョイス。

日本とは何か、日本語はどこから来たのかを追究する本書は、さまざまな諸説の問題点をあげ、研究手法を紹介した上で、ひとつとつ分かりだす過程を、分かりやすく、わくわくするような面白い構成で書き上げています。
言語論的にも非常に面白い視点と研究手法(例えば、比較する言語の文法の一致や音の一致、300から500程度で信憑性を持つとされることや、外来でない基礎語は意外と古代・奈良時代から変わらないこと、発音の変化も調べようがあること、などなど)が順を追って説明されています。
そして、作者は南インドの言葉であるタミル語が日本語と同系統の言語であり、文化的にも共通点が多いことを突き止めていきます。「カレーは辛れぇ」なんていう親父ギャグがありますが、なんと「カレー」自体がタミル語の「kari(辛い)」から来ており、「karai(辛い)」と同源であろう、なんて例も、個人的にうけました。そんな誰かに話したくなるような話がたくさん載っています。

最終的に、言語は文化と通じ、それらが受け入れられるときにはどのような過程をたどるのかということにも言及されていきます。「文明の力が弱い社会が、強大な文明にぶつかると…弱い文明の人々は自分たちのそれまでの言語の体系にたよっているより、強大な文明の言語の単語だけでなく、文法体系までおぼえこんで、その強い文明の言語を使う方が、生活が豊かになり、しあわせだと思うようになるのではないでしょうか」(本文六章より引用)とし、タミルの文化が縄文の時代に入ってきて、弥生のころ日本の人々に受け入れられたのではないかと、作者は推測していきます。そのタミルの文化の源流はシュメール文明にある、ということについても触れられており、地球を半周するその壮大な私たちの営みに思いをはせ、そして将来をみはるかすように、本はとりまとめられます。

この本が出版されたのは1996年、研究には大変な時間と手間が欠けられています。そして手法は、今の研究物に比べると、とてもアナログ。しかしながら、それゆえに思想や思考の発展と広がりがあります。
古さを感じない、しかもわかりやすい、専門用語をほとんど挟まないで書かれた入門書でもあります。中高生はエンタメ系の読書意外にも様々な本を読めるようになる時期、このような本も手にできるようになれば人生が変わりますよ。ぜひ、お試しあれ。
タグ:中学〜高校
posted by るみ先生 at 00:47| Comment(0) | 読書案内