2017年08月15日

読書感想文課題図書

読書感想文の課題図書、今年の中学生対象の本が秀逸!
中学生は課題図書で書く生徒が少ないのもあって全作読み終えるのが今になってしまったけれど、どれも読み応え十分、面白さに長けていました。
特に「ホイッパーウィル川の伝説」は魂・死、という深い深いテーマでありながら、美しい映画のようなイメージで読み進められ、哀しくも温かな気持ちになりました。授業中なのにポロポロ泣いちゃいました…。ファンタジーでストーリーも面白く、意外と読みやすいので、読書不足の人でも読めるかもしれません。
「円周率の謎を追う」も単なる勉強を勧める本ではありませんでした。関孝和の「学ぶ楽しさ」に夢中になる気持ちが分かると、羨ましくなるかも。江戸時代の学問事情や好きなことと生活・人生のバランスなど、大人が読んでも学ぶことの多い作品。
「月はぼくらの宇宙港」もそこそこ読書をしていて宇宙に興味があるなら小学高学年でも楽しめます。専門的でありながら、夢溢れる科学読み物。この本は目次を見て興味が湧くところから読んでもいいと思います。
posted by るみ先生 at 10:30| Comment(0) | 日記

2017年06月29日

哲学はどのように子供たちに影響する?

今回のニュースレターにも載せましたが、当教室の中高生に最も人気が高いのが「哲学」の授業です。
授業といっても、いくつかの命題について先生と対話しながらモンモンと考え、論理的な構成でそれをお題に文章を書くだけなのですが、とにかく目からウロコだったり、視野が広がったり、考え方に一つの指針をつくることができたりするようです。

浪人中の男の子。ある怪奇小説を読解問題として読み込み中に
「先生、分かったで。ニーチェの『畜群』やな。それがめっちゃ変で非合理的な行動もみんな同じように右に倣えでし始めることの恐怖、しかも、抵抗しても巻き込まれる怖さ、そういうことやろ」と言いました。
彼の読んでいた話は、タンスの上に座るという奇行を家族みんながし始めて、ただ一人抵抗していた男も同じ行動をするよう追い込まれるという不思議な小説。彼は医学部志望の理系さんなので、そこまで国語力が必要なわけではないのですが、今の時期は教養を付けるべくいろいろな読書に励んでいます。
たまたま、今、ニーチェを読んでいたのですね。

もう一人の高校2年の男の子も、
「この間見かけた小学生がね『せんせーにゆーたろーっ!』って友達に注意してたんよ。それを見て、おお、まさにリヴァイアサン、強大な権力による支配、だと思ったよ」
「300年たっても、ホッブズの解決法を使ってるのね。人間って意外と進歩がないね(笑)」
長く教室に通っているのもあり、最近は「哲学入門」というギリシア哲学から現代のポスト構造主義まで網羅した名哲学書の抜粋を読んで、哲学的問いに応えています。彼の先週の課題はホッブズの考え以外の戦争を抑える原理はないか考えることでした。

これらは国語ではない? いえいえ、哲学はその流行が研究手法を変えてしまうくらいの影響力があります。読解力、教養を深め難しい概念を読み解けるようになりたい若者にとって、これほどショートカットで力を身に付けさせるものはないでしょう。
読解力は、ある事象の中から別の真理を見つけ出すことでもあります。実際、書いてあることを咀嚼していく力が、哲学で鍛えられています。日常にも、読書にも、社会生活の中にも、冷静に分析する力を身に付けています。

7月2日、特別親の会でこうした松桜塾のとりくみを無料で体験していただくことができます。
(たぶん、ここまで難しいことは、一日ではできないと思いますが、論理構築の思考方法まではできるかもしれないと思っています)
子どもだけがこんな楽しいことをするのはズルイ!というわけで、絶対に「国語」が分かるようになりますので、興味のあります方、ぜひいらしてください。
現在残席2くらいです。

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posted by るみ先生 at 23:01| Comment(0) | 日記

2013年06月24日

思考力と言語力の関係

先日五味太郎氏との念願のインタビューが叶い、少なからぬ影響を受けて帰ってきました。
その時に言われた名言集を作りたいくらいなのですが、
「オマエ日本語下手だな」は図星過ぎて笑ってしまいました。そう言われちゃったくらいですから、私自信、そんなに言葉を操る名人でもなく、このような仕事をしているのがおこがましいくらいです。

それでも、恥を恐れず言語(国語)教育上感じていることを書いてしまいます!

それは、一番に「ものを考える」ことを「言語」でしている限り、その「言語力」次第で「考える力」の限界が来てしまうということです。とはいえ、難しいことばをたくさん知っていると、難しいことが分かっているのかと言われると、それも違うと思いますし、にわとりとたまごの関係で、どちらがどちらを引き上げているのか、実は正確には分かりません。
たとえば、ですが、授業中、考えていること、読み取った内容で、ことばにならないことを図示などで説明してくれる生徒もいます。それはそれでいいと思います。マンガが好きな生徒は、きっとマンガの読解力や分析力、たとえばコマ割りの仕方とか、絵・背景の使い方、セリフ回しなど、読み取る力がすごくあると思います。(それを研究する大学の学部もあるくらいですしね)
そういう力も、十分「思考力」だと思います。しかし、何かことがあれば、とりあえず私たちは言葉を介してお互いを、あるいは先人の知識や思考を理解するしかないわけで、これが弱いと何かと不便です。
社会の授業はもちろん、理科や算数の授業も、言葉で補いながら進みます。
教室では、小学生は主に言語化と説明、論理立ての練習を面白おかしく進めることが、勉強の中心です。文学から主題や情緒、そして共感能力を鍛えていくこともありますが、こちらの方はやはり「人生のアドバンテージ」のようなもので、必要不可欠かどうか、その人次第ではあります。
飛躍的に思考力と理解力が伸びる中・高生向けの授業に「哲学」があります。
抽象的な主題や命題について、具体的に自分で何らかの理解の落とし込みをし、腑に落ちたところで、論理的な構成の文章で自分なりに説明します。また、あるいは、具体的な事例を元に、そこに何らかの哲学的な命題を見つけ、それから気づいたことについて、評論します。
これは、毎回一時間半ほとんどめいいっぱいをつかって、講師は思考の応援者に徹し、つまり「解答」(そんなものがあるのならばですが)を言わずにそばについて、時に対話しながら、子供たちは自分なりの解答を得、あるいは見失って、書き、授業が終了します。
出来上がった文章も、思考も、最初のうちはなんだかよく分からないことになっていることが多いです。しかし、たいていは、子供たちは興奮し、家に帰った時、あるいは友達らに、その得た「発見」や「思想」を語っているという報告を受けます。
この時、用いる言葉は、特別に難しい語彙ではありませんし、事例も格段珍しいものはとりあつかいません。しかし、思想を自分の中に落とし込み、そして、受け入れ、あるいは批判し、さらに自分の中で発展させるということは、すべての学問に生きていきます。
ある少女と、先日ハイパー・インフレーションがとりあげられた評論を読みました。彼女は、そこから「経済学」に興味を持ち、自分に分かりそうな入門書を借りずに購入すると決めて、熱心にメモを取っていました。そして、実は、彼女は私たちとのかかわりでだけそうするのではなく、いろいろな場面で同じように積極的に生きていると知っています。ここに喜んで来るのは、そうした「機会」の一つとしているだけです。
逆に、考えること自体が少ないために、やや注意力に欠け、意味や筋が通らないことをうのみに、あるいは無視せざるを得ない状況の子供も、時々出会います。彼らを勉強面でしかることが増えると、彼らは何かを「丸暗記」して乗り切ろうとします。できないことに、罪も問題もないのですから、ゆっくり「考える」よう促したいものです。そうすれば、すぐにではないけれど、必要ないくつかはかならずできるようになりますから。

世界と、進んだ社会の中で気が遠くなるほど大きく進んだ先人の知恵の中で、積極的に生きるとは、こういうことかと思います。
言語は、こんな思考を助けるものであり、テスト問題を解くためだけにあるわけではありません。

できれば、よく思考し、よく表現し、そして、正解のない世界で積極的に生きていくことを、ただひたすら応援したいものです。
posted by るみ先生 at 17:37| Comment(0) | 日記