過労なのか加齢なのか、はたまた夏熱なのか、夏本番、若干疲れてきています。
今日で夏休み中の外部向け講座は終わるのですが、今年の疲れは過去最高速度で来ている予感。この時期はいつもですが、休みがなかなかとれなくて。。。
生徒さんたちのがんばりに逆に支えられている感じがします。
そうなんです。例年好評の読書感想文コースで、既に数人が仕上げた感想文(新聞作文や音楽作文もありましたが)ですが、今年の出来がまたなかなかいいのですよ。
講師とトークをしているうちに今まで長い話の主題が読み取れなかった生徒も、抑えるところは抑えられるようになっていたり、また今年は文章構成や表現に凝る生徒が多くて、そのまま話をすすめたらどうなるの?とはらはらして見守っていると、終盤ですべてを結びつけるウルトラC級の着地を見せてくれたり(こうなると、いろいろ書き加えたストーリーも結末への伏線になってしまう!)。どの生徒も自分らしい感性と表現で、ぐっと引き付けられる文章を書いてくれています。書きなれた生徒さんは、文章にするのも慣れてきていて自分の考え方を出してくるのも楽に見えます。その分、文章構成に対する自分らしさの追求・工夫も凝らすようになり、二対一でお付き合いするのも以前以上に大変なのですが、仕上げられたとき、もう、その達成感たるや。。。子供たちと講師の顔が輝きます。
一回きりの講座で集団授業の東灘の読売感想文講座も、NHK文化センター子供向け企画の読書感想文講座も、「作文嫌いだけど、今年はがんばっていいの書いてみる!」とか「面白さがわかってきた」とか、さらには「国語がんばりたくなってきた」なんて言ってもらえて疲れもふっとぶってものです。講師冥利に尽きます。一時間半、二時間の長い長い授業時間だったのに、真剣に取り組んでくれて嬉しい。
まだまだ、塾内での仕上げは申込者の三分の一くらい。これからの本番、オリンピックは控えめにして体力温存で頑張りますね!
2012年07月29日
感想文の嵐の中にいます
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2012年01月19日
中学入試の結果報告が来ました
まだ連絡が来ない生徒もいますし、高校入試・大学入試はまだ始まっていないので、統計はまだ出しませんが、今年はちゃんとHPにも報告しようと思います。
今のところ、ほとんど、特に長期の通室の生徒さんは、全員自分の目標を達成しました。
特に、最初はそこまでの学力ではなかったのに、次第に自信をつけ、そして時には無謀とも思える挑戦を自ら挑んで、弱点も克服して乗り切った生徒たちには、合格の報告に涙が出そうになりました。
私がみる生徒には多いことですが、絶対にムリ、なんてもの、ないですね。ぎりぎりまで、一つ一つ少しずつ可能性を高めようよ、と私達の呼びかけに、辛くても応じてくれたみんな、先生に感動をありがとうね。
逆に、時間が足りず、伸び上がるタイミングが受験と合わなかったと感じる生徒さんもいました。一か月、二か月、回数の少なさ、時間のなさはやっぱりきつかったです。次こそはゆるぎない力をつけて、どんな壁もぶち破ろうね。
と、同時に「模試の国語ってなんなんだろう」という思いも残りました。
最難関といわれる中学入試で高得点をたたき出した生徒さんの多くが、模試の国語の成績・偏差値は振るわなかったのです。ただ、教えている段階で、確かにこの生徒は未知の分野の文章であっても読み込む力があるし、理解する力もある、と私は気づいていましたし、そうなるよう育てていたつもりです。あまりに不安がる生徒さんや保護者の方のために、テスト対策も少しはしましたが、これを繰り返すと読み込む力が落ちるのです。
これは、おそらく、本来読み理解する確認の一つの方法、一部分にすぎない設問―出題者が用意した「答え」を推測し選び出すという「他者の視点」でとらえることを重視しすぎた結果、その文章を自分はどのように理解し、自分としてはそれに対してどのように感じるか、ということを徹底してなくしていくことが原因ではないか、と私は考えています。
本来、文章、「本」や「論文」「小説」は、自らが読み解き、そして自らの智慧と精神の血肉としていくことが目的で存在します。ただ、そこには解釈に関して、「客観的な視点」「論理的に当然の帰結」というものはあります。しかし、そこには必ず「自分の思考力」「思考過程」そしてその先に「自分の意見」「自分の感動」というものが存在します。後者を必要としない教育は、未知のものに極端に弱い子供を育てます。
私たちが指導していて時々困るのは、生徒に「これ、あってる?」「まちがってない?」と聞かれることです。私たちは、生徒に「正解してほしい」のではないのです。そもそも「正解」のないところを、自分なりの解釈と理解で考え抜いたことをアウトプットしてほしい、そしてその過程こそを求めているのです。
だから、書き終わった後で「先生の考えを言っていい?」「先生の考えも聞きたい?」と問いかけます。その時も、講師の考えと意見の出てきた過程と根拠を説明しつつ、これも正解の一つであり絶対ではない、しかし、共感してもらえるとうれしい、あるいは反対するときもその理由を教えてほしい、というスタンスです。
「ハーバード白熱教室」という番組が去年話題になりましたね。あの授業スタイルはアメリカの大学での一般的なスタイルですが、教授側は答えを最初から「教え」たりしません。対話する中で、「導き出す」ことはあります。サンデル氏は「最高の教育とは自分がいかに考えるかを学ぶこと」といっていますが、それを実現できている日本の教育はどのくらいあるのでしょうか?
確かに、松桜塾はよい実績を出せています。でも、私が狙う実績は、そんな今日・明日の実績ではありません。この子たちが、十年もして、社会で、学校よりももっと広い世界で、未知の問題がどんどん出てくる中で、「考える」力を使って、激動・不安の時代を「活躍の時代」に変えて生きていってくれること。
その力を養うには、実はテストでも学歴でもないと思っています。
受験を終えたみなさんも、これから受験を迎えるみなさんも、すばらしい人となるための「試練の一つ」にすぎないとして受験勉強をとらえ、これからのあなたたちの素晴らしい人生に資する勉強を忘れないでほしいです。
今のところ、ほとんど、特に長期の通室の生徒さんは、全員自分の目標を達成しました。
特に、最初はそこまでの学力ではなかったのに、次第に自信をつけ、そして時には無謀とも思える挑戦を自ら挑んで、弱点も克服して乗り切った生徒たちには、合格の報告に涙が出そうになりました。
私がみる生徒には多いことですが、絶対にムリ、なんてもの、ないですね。ぎりぎりまで、一つ一つ少しずつ可能性を高めようよ、と私達の呼びかけに、辛くても応じてくれたみんな、先生に感動をありがとうね。
逆に、時間が足りず、伸び上がるタイミングが受験と合わなかったと感じる生徒さんもいました。一か月、二か月、回数の少なさ、時間のなさはやっぱりきつかったです。次こそはゆるぎない力をつけて、どんな壁もぶち破ろうね。
と、同時に「模試の国語ってなんなんだろう」という思いも残りました。
最難関といわれる中学入試で高得点をたたき出した生徒さんの多くが、模試の国語の成績・偏差値は振るわなかったのです。ただ、教えている段階で、確かにこの生徒は未知の分野の文章であっても読み込む力があるし、理解する力もある、と私は気づいていましたし、そうなるよう育てていたつもりです。あまりに不安がる生徒さんや保護者の方のために、テスト対策も少しはしましたが、これを繰り返すと読み込む力が落ちるのです。
これは、おそらく、本来読み理解する確認の一つの方法、一部分にすぎない設問―出題者が用意した「答え」を推測し選び出すという「他者の視点」でとらえることを重視しすぎた結果、その文章を自分はどのように理解し、自分としてはそれに対してどのように感じるか、ということを徹底してなくしていくことが原因ではないか、と私は考えています。
本来、文章、「本」や「論文」「小説」は、自らが読み解き、そして自らの智慧と精神の血肉としていくことが目的で存在します。ただ、そこには解釈に関して、「客観的な視点」「論理的に当然の帰結」というものはあります。しかし、そこには必ず「自分の思考力」「思考過程」そしてその先に「自分の意見」「自分の感動」というものが存在します。後者を必要としない教育は、未知のものに極端に弱い子供を育てます。
私たちが指導していて時々困るのは、生徒に「これ、あってる?」「まちがってない?」と聞かれることです。私たちは、生徒に「正解してほしい」のではないのです。そもそも「正解」のないところを、自分なりの解釈と理解で考え抜いたことをアウトプットしてほしい、そしてその過程こそを求めているのです。
だから、書き終わった後で「先生の考えを言っていい?」「先生の考えも聞きたい?」と問いかけます。その時も、講師の考えと意見の出てきた過程と根拠を説明しつつ、これも正解の一つであり絶対ではない、しかし、共感してもらえるとうれしい、あるいは反対するときもその理由を教えてほしい、というスタンスです。
「ハーバード白熱教室」という番組が去年話題になりましたね。あの授業スタイルはアメリカの大学での一般的なスタイルですが、教授側は答えを最初から「教え」たりしません。対話する中で、「導き出す」ことはあります。サンデル氏は「最高の教育とは自分がいかに考えるかを学ぶこと」といっていますが、それを実現できている日本の教育はどのくらいあるのでしょうか?
確かに、松桜塾はよい実績を出せています。でも、私が狙う実績は、そんな今日・明日の実績ではありません。この子たちが、十年もして、社会で、学校よりももっと広い世界で、未知の問題がどんどん出てくる中で、「考える」力を使って、激動・不安の時代を「活躍の時代」に変えて生きていってくれること。
その力を養うには、実はテストでも学歴でもないと思っています。
受験を終えたみなさんも、これから受験を迎えるみなさんも、すばらしい人となるための「試練の一つ」にすぎないとして受験勉強をとらえ、これからのあなたたちの素晴らしい人生に資する勉強を忘れないでほしいです。
posted by るみ先生 at 00:04| Comment(0)
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2012年01月08日
受験シーズン到来
来週はセンター試験、中学受験は既に始まっている学校もありますね。
受験生もですが、来年の受験生もだんだん緊張してくる時期です。多くの子どもたちと接していて、そういう気持ちをひしひしと受け取ることが多くなりました。
よく私は、志望校を偏差値で決めないで、と言います。それは無謀なチャレンジをしろというわけではありません。低い偏差値の学校を見直せというのでもありません。テストとの相性を第一にしているわけでもありません。
特に中学・高校は、純粋に自分に適した教育機関かどうかで見てほしいのです。あこがれを持つのも悪くはありません。むしろ、そういう気持ちも大切にしたい。ただ、そこに「偏差値の高い学校だから」「大学進学率がいいから」ということに目がくらみがちですが、「青春」を過ごす場として、自分の性格や勉強スタイルなどいろいろ加味しなければならないことが多くあります。そうしたら、意外と「志望校」は一つではなくなる可能性もあります。
その上で、今の実力では厳しい学校に行きたくなったら、あきらめないでほしいのです。
逆に「名門校だから」などというだけのあこがれで、自分の性格や状況を考えずに選ぶのも、教育の本来の意味を見失いがちで、本当に得ねばならないものを見落とす危険性があることを忘れてはいけないと思います。
行きたい学校はあるが今の学力では難しい、だから目指さない、と、ある男の子が私に言いました。それに対して、私は、
可能性は、ゼロなの? そもそも可能性でゼロや100%ということは世の中にあるの?
私はないと思うな。
そう答えました。
たとえ1%でも可能性があるなら、その選択が冷静で客観的な判断に基づく、それ以上に自分自身の選択と意思に基づくのならば、
1%を2%にする方法を考えましょう。
2%になったら5%、10%、50%、80%とあげていく方法を考えましょう。
逆に、100%も世の中にないので、油断はしないで。
方法はできる限り具体的に。時には専門家の意見も聞きながら、対策を立てましょう。
こうしたチャレンジが実を結ぶことを祈ります。
どうやって困難を切り開いていくのか、若い挑戦でもあるのです。
この姿勢が先の長い人生の練習で序章でもあるのです。
とはいえ、所詮入試、教育機関の選択にすぎないことも忘れないで。
生活のすべてを打ち込むほどの価値があるのかどうか、渦中にいると分からなくなりますよね。
大切な「今」という時間を、「今」しか感じ取れないものを捨ててまでしないといけないことか、
長期間何かを我慢する時、大切な小学生時代・中学生生活はこれまた2度と帰ってこないのだけれど、それで後悔はないのかも意識してほしい。
叱られる、褒められる、というような、他者の評価に常に左右されるのではなく、少しずつでいいので「自分」を見失わないで。
どうせするならば、生きていく力に変えていく、勉強だけでなくいろいろなことを学んでほしい、そんな受験をしてほしいと思っています。
受験生、がんばれ。
私は、必要とされるならば、私のベストの力でをあなたたちに差し上げます。
祈合格。
受験生もですが、来年の受験生もだんだん緊張してくる時期です。多くの子どもたちと接していて、そういう気持ちをひしひしと受け取ることが多くなりました。
よく私は、志望校を偏差値で決めないで、と言います。それは無謀なチャレンジをしろというわけではありません。低い偏差値の学校を見直せというのでもありません。テストとの相性を第一にしているわけでもありません。
特に中学・高校は、純粋に自分に適した教育機関かどうかで見てほしいのです。あこがれを持つのも悪くはありません。むしろ、そういう気持ちも大切にしたい。ただ、そこに「偏差値の高い学校だから」「大学進学率がいいから」ということに目がくらみがちですが、「青春」を過ごす場として、自分の性格や勉強スタイルなどいろいろ加味しなければならないことが多くあります。そうしたら、意外と「志望校」は一つではなくなる可能性もあります。
その上で、今の実力では厳しい学校に行きたくなったら、あきらめないでほしいのです。
逆に「名門校だから」などというだけのあこがれで、自分の性格や状況を考えずに選ぶのも、教育の本来の意味を見失いがちで、本当に得ねばならないものを見落とす危険性があることを忘れてはいけないと思います。
行きたい学校はあるが今の学力では難しい、だから目指さない、と、ある男の子が私に言いました。それに対して、私は、
可能性は、ゼロなの? そもそも可能性でゼロや100%ということは世の中にあるの?
私はないと思うな。
そう答えました。
たとえ1%でも可能性があるなら、その選択が冷静で客観的な判断に基づく、それ以上に自分自身の選択と意思に基づくのならば、
1%を2%にする方法を考えましょう。
2%になったら5%、10%、50%、80%とあげていく方法を考えましょう。
逆に、100%も世の中にないので、油断はしないで。
方法はできる限り具体的に。時には専門家の意見も聞きながら、対策を立てましょう。
こうしたチャレンジが実を結ぶことを祈ります。
どうやって困難を切り開いていくのか、若い挑戦でもあるのです。
この姿勢が先の長い人生の練習で序章でもあるのです。
とはいえ、所詮入試、教育機関の選択にすぎないことも忘れないで。
生活のすべてを打ち込むほどの価値があるのかどうか、渦中にいると分からなくなりますよね。
大切な「今」という時間を、「今」しか感じ取れないものを捨ててまでしないといけないことか、
長期間何かを我慢する時、大切な小学生時代・中学生生活はこれまた2度と帰ってこないのだけれど、それで後悔はないのかも意識してほしい。
叱られる、褒められる、というような、他者の評価に常に左右されるのではなく、少しずつでいいので「自分」を見失わないで。
どうせするならば、生きていく力に変えていく、勉強だけでなくいろいろなことを学んでほしい、そんな受験をしてほしいと思っています。
受験生、がんばれ。
私は、必要とされるならば、私のベストの力でをあなたたちに差し上げます。
祈合格。
posted by るみ先生 at 00:26| Comment(0)
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