
つまらない文章と共感性を呼ぶ文章との違いは何でしょう?
運動会の感想を書かせると
「ぼくは100メートル競走に出た。3番だった。残念だった。」おしまい、のような文章を書く子どもがいますね。これはとても残念。字数が足りないからだけではなく、読み手が「ふーん」と情報だけを読み取って、何も印象に残してくれないから。
字数を増やそうとして、同じような事実を羅列すると、もう、読む気にもなれない。
どんな文章だといいのでしょうか?
これも基本に立ち返るといいのです。
そもそも、言葉・言語は現実とは異なります。ことばはそこに存在しないものをたちあげようとします。
抽象的なことであればあるほど、相手の頭には現実感が起こらず、すなわち何らの感情もかきたてられません。
そこで、五感をうまく使った表現を覚えましょう!
五感とは、いうまでもなく
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚、です。
五感で感じるものを言語化するだけでなく、そこに至る「気持ち」や「理由」なども書き加えます。
視覚の表現
・その日は、とても空が青く、白いくもがふわふわといくつかうかんでいた。すがすがしくて気持ちがよかった。よい天気で運動会日和に思え、うれしかった。
・走っているときは、白い地面しか見えなかった。頭の中もまっ白だった。必死だったのだ。
聴覚の表現
・パアンというスタートのピストルの音がひびいた。ぼくはびくっとしてしまった。あまりに大きな音だったからだ。
嗅覚の表現
ピストルの火薬の音がした。
つちぼこりのかわいた匂いがした。つらくなった。
触覚の表現
空気はすこし冷たい。
足のうらに砂のざらざらした感じが伝わってくる。
味覚の表現
汗がながれてきたのが口にはいり、塩っぽい味がした。
組み合わせます。
・〇月〇日、運動会があった。その日は、とても空が青く、白いくもがふわふわといくつかうかんでいた。空気はすこし冷たい。すがすがしくて気持ちがよかった。よい天気で運動会日和に思え、うれしかった。
ぼくは100メートル競走に出た。走るのが苦手なぼくは、少し緊張していた。パアンというスタートのピストルの音がひびいた。ぼくはびくっとしてしまった。あまりに大きな音だったからだ。走っているときは、白い地面しか見えなかった。足のうらに砂のざらざらした感じが伝わってくる。頭の中もまっ白だった。必死だったのだ。つちぼこりのかわいた匂いがし、つらくなった。結果は、3番だった。汗がながれてきたのが口にはいり、塩っぽい味がした。一生懸命だった分、残念だったが、次はもっと順位をあげたいと思った。
どうでしょう?表現はたとえ稚拙でも、その時の作者の体験したことが現実的に伝わってきませんか?
心情などの概念は理解は生みますが共感は生みません。
だから、できる限り、現実に体験したこと、つまり五感で感じることをベースにして書けばいいのです。
五感の表現は、さまざまな感覚を読者に立ち上げます。その時、共感を呼び、感動もさせ、人を動かすという文章の一番の目的を果たします。
教室では五感を使った作文、言語ではない「五感」を言語化するトレーニングを早い時期から行います。論理力が上がってきた年齢で、理由・因果関係を考える際にも、「いやだから」とか「かわいいから」とか、抽象的なところや感情的なところで述べても説得力がありません。
具体的な内容を相手の頭の中に喚起させ、共感を呼び、説得力ある表現力をつけるのは、
小さい時からのトレーニング。
ちょっとしたものを五感でとらえて、表現する練習をしてはいかがでしょう?
小3くらいの時には、大変よい効果が出ること、そして、将来の語彙力をのばすこと、すなわち知能をあげること、まちがいなしです。