2018年03月03日

「ことば」に具体性をもたせる方法

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つまらない文章と共感性を呼ぶ文章との違いは何でしょう?

運動会の感想を書かせると
「ぼくは100メートル競走に出た。3番だった。残念だった。」おしまい、のような文章を書く子どもがいますね。これはとても残念。字数が足りないからだけではなく、読み手が「ふーん」と情報だけを読み取って、何も印象に残してくれないから。
字数を増やそうとして、同じような事実を羅列すると、もう、読む気にもなれない。
どんな文章だといいのでしょうか?
これも基本に立ち返るといいのです。
そもそも、言葉・言語は現実とは異なります。ことばはそこに存在しないものをたちあげようとします。
抽象的なことであればあるほど、相手の頭には現実感が起こらず、すなわち何らの感情もかきたてられません。
そこで、五感をうまく使った表現を覚えましょう!
五感とは、いうまでもなく
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚、です。
五感で感じるものを言語化するだけでなく、そこに至る「気持ち」や「理由」なども書き加えます。

視覚の表現
・その日は、とても空が青く、白いくもがふわふわといくつかうかんでいた。すがすがしくて気持ちがよかった。よい天気で運動会日和に思え、うれしかった。
・走っているときは、白い地面しか見えなかった。頭の中もまっ白だった。必死だったのだ。
聴覚の表現
・パアンというスタートのピストルの音がひびいた。ぼくはびくっとしてしまった。あまりに大きな音だったからだ。
嗅覚の表現
ピストルの火薬の音がした。
つちぼこりのかわいた匂いがした。つらくなった。
触覚の表現
空気はすこし冷たい。
足のうらに砂のざらざらした感じが伝わってくる。
味覚の表現
汗がながれてきたのが口にはいり、塩っぽい味がした。

組み合わせます。
・〇月〇日、運動会があった。その日は、とても空が青く、白いくもがふわふわといくつかうかんでいた。空気はすこし冷たい。すがすがしくて気持ちがよかった。よい天気で運動会日和に思え、うれしかった。
 ぼくは100メートル競走に出た。走るのが苦手なぼくは、少し緊張していた。パアンというスタートのピストルの音がひびいた。ぼくはびくっとしてしまった。あまりに大きな音だったからだ。走っているときは、白い地面しか見えなかった。足のうらに砂のざらざらした感じが伝わってくる。頭の中もまっ白だった。必死だったのだ。つちぼこりのかわいた匂いがし、つらくなった。結果は、3番だった。汗がながれてきたのが口にはいり、塩っぽい味がした。一生懸命だった分、残念だったが、次はもっと順位をあげたいと思った。

どうでしょう?表現はたとえ稚拙でも、その時の作者の体験したことが現実的に伝わってきませんか?
心情などの概念は理解は生みますが共感は生みません。
だから、できる限り、現実に体験したこと、つまり五感で感じることをベースにして書けばいいのです。
五感の表現は、さまざまな感覚を読者に立ち上げます。その時、共感を呼び、感動もさせ、人を動かすという文章の一番の目的を果たします。

教室では五感を使った作文、言語ではない「五感」を言語化するトレーニングを早い時期から行います。論理力が上がってきた年齢で、理由・因果関係を考える際にも、「いやだから」とか「かわいいから」とか、抽象的なところや感情的なところで述べても説得力がありません。
具体的な内容を相手の頭の中に喚起させ、共感を呼び、説得力ある表現力をつけるのは、
小さい時からのトレーニング。

ちょっとしたものを五感でとらえて、表現する練習をしてはいかがでしょう?
小3くらいの時には、大変よい効果が出ること、そして、将来の語彙力をのばすこと、すなわち知能をあげること、まちがいなしです。

posted by るみ先生 at 22:01| Comment(0) | 学習方法

2018年02月28日

国文法ってどうやったら頭にはいるの?

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テストでいい点をとろうとしなければ、頭に入ります。
えぇ〜って言わないで。

そもそも、文法ってどうやってできたんでしょう? 使われている言葉から文法ルールを見つけたんでしょうか?それとも文法ルールを作ってから、言葉は使われるようになったんでしょうか?
答えはもちろん前者。
だとしたら、テストのために文法はあるのではなくて、使われている言葉のルールを聞かれていると考えればいいのですよね?

みんな基本の基本を忘れすぎです。
例えば、「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形(已然形)・命令形」ってそもそもなんでそんな呼び方をするのか、意味を考えていますか?
未然って言うのは、その用言(動詞、形容詞、形容動詞)の行為が未然なんですよね。
「走る」の未然形は「走ら(ない)」「走ろ(う)」。たまたま、未然の時の言葉のルールを見つけて、それを「未然形」って呼ぶようにしたんです。
連用形は? 連用修飾する時だけ?
ここが国文法の面白いところで、古文を習うと分かるのですが、
「走り(けり)」「走り(ぬ)」とか言う風に、過去の時制に活用させる時使う活用があり、これがたまたま連用修飾の形にする時と同じ形なんです。だから、現代文法でも「走っ(た)」は連用形。
終止形、これは言葉を見ても分かりやすい、文の最後に来るときの形ですよね。
「走る。」
で、ここで面白いことに気づきませんか?
未然(未来)→連用(過去)→終止 とききているので、終止形は「現在」なんです。現在のものごとという意味合いがあるんです。

「走る(だろう)」は未来じゃないか? いい気づきです。
未然形の推量の形と比較してみましょう。
「走ろ(う)」はこれから走る感じ。
「走る(だろう)」は今からまさに走り出す感じ、なんです。
古典でいうと
「走らむ」(未然形)は意志は感じられるけど、今すぐじゃない。
「走るべし」(終止形)はもう今から走り出す感じ。今しないとダメって強制する感じなんです。

もちろん、よく使うケースにあわせてことばの名前・ルールを決めていて、
先ほど申したように、文法は「使われている言葉に見つけ出したルール」なので例外もたくさんあります。
でも、基本が頭にはいると、だんだん例外を見つけるのも楽しくなってくる。

こんな考え方は、テストには出ません。テストでいい点をとろうとしないで、どうしてそんなルールを先生たちは教えるのか、考えさせるのか、そんな原点に返ってみると、不思議と頭にも入るし、楽しくなってしまいます。そして、なぜ覚えなくてはならないのかも分かってくる。
これが松桜塾流。

つまらない無機質な勉強は、存在しません。楽しんで♪
posted by るみ先生 at 23:16| Comment(0) | 学習方法

国語を鍛えると算数理科社会もできるようになる!?

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はい、その通り。
学習言語としての国語力をつけると、さまざまな教科によい影響が出ます。
学校の先生も、塾の先生も、集団授業では主に言葉を使って説明しますよね。
問題も「言葉」をつかって出題されますよね。
言葉をちゃんと理解して、自分で理解し、その都度腑に落とす、疑問を持つというクセをつけると、
分かり方自体がよくなるのはアタリマエです。

とはいえ、その国語の勉強の仕方が少し違うと、逆に悪影響が出ます。
全教科に影響するような「国語」は、いわゆる問題集で、記号問題や抜き出し問題を多く解くことでは、鍛えられません。
なぜなら、「頭でしっかり理解しよう」というクセが付かないから。正解だけを求めようとするから。

学習言語としての国語力をつける簡単な方法を一つご紹介しましょう。
文章を一読した後、その内容について本文を見ずに説明してみましょう。
ここで大切なのは、失敗すること。一度でできることは求めません。
何か読み落としたこと、分からないことがあったと気づくこと。
分からない、と気づいてから読み直すと、自然と視点も思考も定まってきます。
時には、疑問点が文章で解決されていないこともあるでしょう。
でも、それに気づけるだけで充分素晴らしい。

コツとしては長すぎない文章(長い時にはいくつかに分ける)難しすぎない文章(これは別のものを鍛えるときに使います)を用いること。
正確に本文通りのことばを用いなくてもいいので、自分で理解した内容を語る、あるいは書きだせること。
ことばを用いようとすると、探すことがポイントになってしまい、本当には理解できてなくとも正解してしまうことがあります。これでは、言語リテラシーは身に付きません。
文章ではなく単語でつけるという条件だけど、メモをつけるのもOK。
とにかく、読んだ内容を頭の中に整理して、理解させて、覚えていくのです。

松桜塾では2〜3年生でも行うプログラムですが、上の学年の子も必要に応じて取り組みます。
努力しても努力しても成績が低迷していたある5年の男の子が、これを家庭でも3ヶ月取り組んだところ、
国語の偏差値が10近く上がっただけでなく、理科の成績もぐんっと伸びました。
分かる意識って大切です。
posted by るみ先生 at 22:52| Comment(0) | 学習方法