
新年の誓い、それはできるだけたくさんの本を読むこと。目標としては、週に3冊程度の紹介。(3冊読めない場合は、知っている本で書くつもり…)
本年はじめは、日本を考えるをテーマにしてみました。
「日本語はどこからきたのか」大野晋 著 (中公文庫)
今年の年始は、論語教室の正岡定子先生のお話に触発され、当塾の扉にもしめ縄を飾りました。クリスマスを過ぎると、日本全国「お正月」風物〜「お年玉」や「おせち」「門松」などの飾り物などになんの疑問も持たずに、どっぷりと漬かります。でも、それらはどのような経緯で今に受け継がれていて、私たちにどのような影響を与えているのか、あまり考えていません。
また、近年ナショナリズムが脚光を浴びていますが、そもそも日本とは何なのか、何が変わり、何が変わらないのか、それが分かれば、単なる民族対立のこじつけた理由にされることもないのではないかと思います。
そんな今だから、上記「日本語はどこからきたのか」をチョイス。
日本とは何か、日本語はどこから来たのかを追究する本書は、さまざまな諸説の問題点をあげ、研究手法を紹介した上で、ひとつとつ分かりだす過程を、分かりやすく、わくわくするような面白い構成で書き上げています。
言語論的にも非常に面白い視点と研究手法(例えば、比較する言語の文法の一致や音の一致、300から500程度で信憑性を持つとされることや、外来でない基礎語は意外と古代・奈良時代から変わらないこと、発音の変化も調べようがあること、などなど)が順を追って説明されています。
そして、作者は南インドの言葉であるタミル語が日本語と同系統の言語であり、文化的にも共通点が多いことを突き止めていきます。「カレーは辛れぇ」なんていう親父ギャグがありますが、なんと「カレー」自体がタミル語の「kari(辛い)」から来ており、「karai(辛い)」と同源であろう、なんて例も、個人的にうけました。そんな誰かに話したくなるような話がたくさん載っています。
最終的に、言語は文化と通じ、それらが受け入れられるときにはどのような過程をたどるのかということにも言及されていきます。「文明の力が弱い社会が、強大な文明にぶつかると…弱い文明の人々は自分たちのそれまでの言語の体系にたよっているより、強大な文明の言語の単語だけでなく、文法体系までおぼえこんで、その強い文明の言語を使う方が、生活が豊かになり、しあわせだと思うようになるのではないでしょうか」(本文六章より引用)とし、タミルの文化が縄文の時代に入ってきて、弥生のころ日本の人々に受け入れられたのではないかと、作者は推測していきます。そのタミルの文化の源流はシュメール文明にある、ということについても触れられており、地球を半周するその壮大な私たちの営みに思いをはせ、そして将来をみはるかすように、本はとりまとめられます。
この本が出版されたのは1996年、研究には大変な時間と手間が欠けられています。そして手法は、今の研究物に比べると、とてもアナログ。しかしながら、それゆえに思想や思考の発展と広がりがあります。
古さを感じない、しかもわかりやすい、専門用語をほとんど挟まないで書かれた入門書でもあります。中高生はエンタメ系の読書意外にも様々な本を読めるようになる時期、このような本も手にできるようになれば人生が変わりますよ。ぜひ、お試しあれ。