
テストでいい点をとろうとしなければ、頭に入ります。
えぇ〜って言わないで。
そもそも、文法ってどうやってできたんでしょう? 使われている言葉から文法ルールを見つけたんでしょうか?それとも文法ルールを作ってから、言葉は使われるようになったんでしょうか?
答えはもちろん前者。
だとしたら、テストのために文法はあるのではなくて、使われている言葉のルールを聞かれていると考えればいいのですよね?
みんな基本の基本を忘れすぎです。
例えば、「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形(已然形)・命令形」ってそもそもなんでそんな呼び方をするのか、意味を考えていますか?
未然って言うのは、その用言(動詞、形容詞、形容動詞)の行為が未然なんですよね。
「走る」の未然形は「走ら(ない)」「走ろ(う)」。たまたま、未然の時の言葉のルールを見つけて、それを「未然形」って呼ぶようにしたんです。
連用形は? 連用修飾する時だけ?
ここが国文法の面白いところで、古文を習うと分かるのですが、
「走り(けり)」「走り(ぬ)」とか言う風に、過去の時制に活用させる時使う活用があり、これがたまたま連用修飾の形にする時と同じ形なんです。だから、現代文法でも「走っ(た)」は連用形。
終止形、これは言葉を見ても分かりやすい、文の最後に来るときの形ですよね。
「走る。」
で、ここで面白いことに気づきませんか?
未然(未来)→連用(過去)→終止 とききているので、終止形は「現在」なんです。現在のものごとという意味合いがあるんです。
「走る(だろう)」は未来じゃないか? いい気づきです。
未然形の推量の形と比較してみましょう。
「走ろ(う)」はこれから走る感じ。
「走る(だろう)」は今からまさに走り出す感じ、なんです。
古典でいうと
「走らむ」(未然形)は意志は感じられるけど、今すぐじゃない。
「走るべし」(終止形)はもう今から走り出す感じ。今しないとダメって強制する感じなんです。
もちろん、よく使うケースにあわせてことばの名前・ルールを決めていて、
先ほど申したように、文法は「使われている言葉に見つけ出したルール」なので例外もたくさんあります。
でも、基本が頭にはいると、だんだん例外を見つけるのも楽しくなってくる。
こんな考え方は、テストには出ません。テストでいい点をとろうとしないで、どうしてそんなルールを先生たちは教えるのか、考えさせるのか、そんな原点に返ってみると、不思議と頭にも入るし、楽しくなってしまいます。そして、なぜ覚えなくてはならないのかも分かってくる。
これが松桜塾流。
つまらない無機質な勉強は、存在しません。楽しんで♪